開発と経済のはざま

国際開発・経済・日々の雑記など

MIT×JPALの開発経済講座が面白い

ここ2ヶ月ほどは毎日の通勤時間に欠かさずオンライン講座で勉強している。MOOCと呼ばれる、アメリカの大学が中心となって無料ないし格安で色々なコースが提供されている媒体だ。存在は随分前から知っていて、かつてdata scienceの講座を受講しようとしたが挫折したこともあった。初めて1コース終えたのはちょうど1年ほど前のIMFの「macroeconomic diagnostics」だった。それ以降、日本でも有名になったマイケルサンデルの「justice」やIMFの他の講座もやったりしていた。

今やっている(嵌まっている、と言ってもよい)のは、MITとJPALが開発したオンライン+通学のブレンド修士である「Master in Data, Ecnomics and Development Policy」の2コースで、edXから提供されている「Political Economy and Economic Development」と「Foundations of Development Policy」だ。Benjamin Olken, Estor Duflo, Abbijit Banerjeeという開発経済の超大御所が教えている。DufloとBanerjeeは今年Michael Kremerとノーベル賞を受賞したばかりで、いまだネットでは毎日3人の功績やインパクト評価についての記事をみかける。これらは実際に大学で教えられている講座なので、授業中の生徒からの質問等もあり臨場感さながらで学ぶことができるのも魅力だ。これが、無料というのは、本当に信じられない時代である(certificateを得るためには1講座100-500ドル支払う必要がある)。

内容は留学中に学んだ開発経済と計量経済を合わせたようなもので、各種トピック(credit, corruption, voting, education等々)毎に理論と実証(インパクト評価等)でもって経済学を通じた見方を教えてくれる。いままで当然と思っていたことが実際は全くそうでなかったり、途上国の各種の課題をモデル化し検証していく過程は、めちゃくちゃ面白い。例えば今週は「Foundations of Development Policy」の方でマイクロファイナンスを扱っているが、利子率よりも返済期間がずっと重要といったことや、グループ責任は実は意味がない等がデータでもって示されていく。留学前に受けていたらサッパリだったことは間違いないので、留学の意味はあったなと感じる。

それにしても、edXにしろcourceraにしろ、とてつもない量の講座が開講されている。好奇心に任せてenrollすると大変なことになる(自分も10コ以上enrollはしているがアクティブなのは上記2講座、、)が、続ける意思と覚悟さえあれば文字通り何でも勉強(それも国際的にトップクラスの講師から)できるのだ。

読書メモ 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか

ヘンリー・ミンツバーグがマネジメントに必要な3要素として挙げているのがアート(美意識)、サイエンス(データ、論理)、クラフト(経験知)。その中でも本書は現代社会の経営におけるアートの重要性を論じたもの。グローバリゼーションにより差別化が一層難しくなり、また極度の貧困が解消されつつあるなか物的欲求よりも「自己実現欲求」がますます重要になること、そしてシステムの変化に追いつかないルール、全てがアート型の経営の必要性を求めている。これらはいずれも時代を読んだ指摘であり、徐々に浮き彫りになってきた高度資本主義社会の行きつく先で生じる「壁」のようなものだろう。それでも資本主義に代わるパラダイムは生まれず、では何が更なるブレークスルー・イノベーションを可能にするのかと考えたときに、これまでの思考とは全く異なるアート(美意識)が人々の需要を喚起していく、という議論だ。日本ではまだまだクラフト型の経営が幅をきかせており、ベンチャーやコンサルの台頭によってサイエンス型の経営も徐々に浸透しつつあるが、アート型と呼ぶにはほど通い。著者は、定義からしアカウンタビリティとは無縁のアート型が経営において主導権を持つには、そのような人材をトップに置きサイエンス・クラフト型人材が脇を固めるという手法以外にない(さもなくばアート型は淘汰されてしまう)と述べている。その通りだろう。

日本はクラフト型と述べたばかりだが、そのような経営の行きつく先は、無理な業務を負わせられた社員が行き場をなくしコンプライアンス違反に走ったり精神を病んでしまうという悲劇だ。美意識は経営者のみが有していればよいのではなく、社員の一人一人が(会社とは離れた)信念を持ち業務に取り組むということ、それは上から言われたことを上手にやることではなく、自分で自分の美意識・価値基準に照らし合わせて判断するということだ。

2年間サイエンスとその重要性を学んだ中であるが、以上のようなアートの重要性の議論には頷くことが多い。アートであれサイエンスであれ、クラフト一辺倒の日本の会社・組織は早期に舵を切る必要があるだろう。他方で、そういった経営の方向性についてもまた、ゆくゆくは差別化が難しくなるのではないかという疑念は消えない。イノベーションのマンネリ化だ。常に新しい価値(=差異)を求め続けなくてはいけないというモデル自身に限界がきているのではないだろうか。

帰国、アジャストメント

アメリカから帰国してはや1ヶ月が経とうとしています。授業や試験が終わったのが5月上旬なのでそこから考えると3ヶ月になります。この間、子育てや引っ越しや新生活立ち上げで全く落ち着く暇はなかったのですが、仕事にも復帰し、ようやく徐々に「帰ってきた」という実感が湧いてきました。この2年間は間違いなく自分史の中で最も勉強し様々なことから刺激を受けた期間だったのですが、ある意味パッケージ化された大学という「bubble」の中にいたので、あまり将来のことなど悩まずとも毎日楽しく忙しく生活できました。この2年間が自分にとってどういった意味を持つのか、あるいはどういった意味を与えたいのか、これはこれからの自分への問いです。幸い、色々なことを考え実践できる環境に帰ってきたので(=そこまで仕事が忙しくない)、少し時間をかけて自分を見つめ直し、好きな勉強を継続し、出来る限り人に会いたいと思います。まぁ、子育てが一番忙しい時期なので今考えているほど多くの時間は取れない可能性が大ですが。

1年間放ったらかしていたこのブログも、どういったものになるかはまだ分かりませんが、徐々に利用していきたいと思います。過去のエントリーで大学院での学びを書くと書いているのでそれももちろん。

 

ケネディスクールの名物授業にRonald Heifetzが教えるリーダーシップの授業があります。もう数十年以上続いている授業で書籍も複数出版されています。授業の指定ということもあり、うち2冊を読んだのですが、2冊目の以下はHeifetzの教えが凝縮された(リーダーシップという言葉の意味に縛られず)万人にオススメできる内容でした。

Leadership on the Line, With a New Preface: Staying Alive Through the Dangers of Change

Leadership on the Line, With a New Preface: Staying Alive Through the Dangers of Change

 
[新訳]最前線のリーダーシップ――何が生死を分けるのか

[新訳]最前線のリーダーシップ――何が生死を分けるのか

 

それはどうやって社会に働きかけるか、社会を変えるか、そのために他人とどう接すればいいか、という外向きの視点から翻って、自分を形作る要素は何か、何を拠り所とするか、「良き」人生をどうやって歩むか、という内向きの視線に至るものです。

この2年間、国際開発と開発経済の最先端のknowledgeを吸収することに必死でした。そして今、決して十分学んだとは言えないながらも(学ぶほど面白くなり、そして先が長くなる)、2年前よりもずっと広い国際開発の可能性を知ることが出来た気がしています。一方で、自分が興味を持つ領域、貢献できうる領域はずっと狭い。そのギャップを意識し、どちらかというと前者の領域に重点を置いていた2年間から、後者へと重点を移していく期間がこの半年〜1年なのかなと思います。

一日一日を着実に、過ごしていきたいと思います。

大学院で統計を学ぶ意味

大学学部では「地味そう」という理由だけで統計学のクラスを取りませんでした。今思うと完全に浅はかとしか言いようがありません。しかし実際、少なくとも当時大学の座学の統計は理論だけを学び、(最も面白いはずの)実世界への応用は重視されていませんでした。扱いが「準必修」だったことにも頷けます。それが日本でも数年前に「 統計学が最強の学問である」がベストセラー入りしたことに象徴されるように「統計ってクールだよね」という風潮が生まれたのを記憶しています。このさらに以前に世界中で話題となった「ヤバい経済学 [増補改訂版]」も計量経済学のツールで分かる面白い結果を解説した書です。相撲がなぜ茶番と言えるのか、というショッキングな分析もありました。
ではなぜ今統計の重要性が叫ばれているのか。それは紛れもなく、統計が現代世界を生きる必須スキルだからです。
 
「クラスのなかで誕生日が同じ2人組がいる確率は」「ガン検査で陽性だった時に本当にガンに罹患している確率は」これらは初見で間違いやすい問題です。最初の問いは50人のクラスで97%、2番目の問いは機械のエラー発生確率に因りますが20%以下が普通です。MPA/IDの統計の授業では、「Our intuition is mostly wrong:我々の直感はほとんどの場合誤っている」とまず教授に言われます。また、有名な「風が吹けば桶屋が儲かる」話のように「○の場合●」という話は世の中に溢れています。その中にどれだけ因果関係を示した関係があるか。複数の犯罪者が少年時代に○○というゲームをしていたことが判明した。●●ダイエットは成功する人が多い。といった話も同じです。必ずしも原因と結果の関係でなくとも、第3の要因を経由して関連付けされたりあるいは逆の因果関係だったりする可能性もあります。多くの場合、因果関係の証明は容易でありません。同じ教授が学期を通じて言うことが「correlataion is not cosation:相関関係は因果関係ではない」です。有象無象の情報の中で生きる私たちは、日々のニュースやインターネットを見る際に安易な関連付け、判断をしないよう気をつけないといけません。
 
統計の授業ではデータを扱う基礎になる原則(中心極限定理ベイズ定理等)から、どのような場合に因果関係があると言えるのかを学習し、正しい関連性を分析するためのツール習得を目指します。授業が進むにつれより実践的な問いに答えられるようになります。「選挙速報ではなぜ票回収が半分にも満たない中「当確」が出るのか」「試験薬のサンプル試験で効果が出たがこの薬は有効か」「汚職は行われているのか」これらの問いに答えるための重要なツールが回帰分析:regressionです。その様々な手法、とりわけインパクト評価について次回エントリーで説明したいと思います。

MPA/ID 一年目の学び

全14週二カ国のインターンも最終日となりました。さぼっていたブログですが、新学期を前にこれまで学んだ内容を振り返るエントリーをつづっていきます。MPA/IDプログラム1年目はとにかく経済と統計を学ぶ年です。科目だけ見るとほとんど同じPhD経済のコースワークと比べ、よりapplicationに重点が置かれたプログラムとなっていることが特徴です。いったいそれはどういうことなのか、これからのエントリーで伝えられればと思います。
 
1 統計を学ぶ意味
2 インパクト評価の手法
3 データにだまされないための視点
4 契約理論 ー逆選択モラルハザード
6 マクロ経済 ー分析モデル選択ー
7 マクロ経済 ー経済成長理論ー
8 マクロ経済 ー債務持続性分析ー
9 ミクロ経済 ー厚生経済学第1、第2定理ー
10 ミクロ経済 ーマッチング理論の基礎ー
 
何が書けるかなと少し考えた結果頭に浮かんだのが以上です。書いているうちに色々思い出して増やしたりするかもしれませんが、とにかくこの10個については復習の意も込めてエントリーし、その後ケーススタディで取り扱った内容やこぼしたトピックを拾っていければとかんがえています。

西バルカンを観光するということ

あれよあれよと言う間にアルバニアに来て3週間がたとうとしています。週末は全て旅行にあてることを公言しているので限られた期間の旅行計画立案には余念がないのですが、来る前は知らなかった驚きの一つにこの地域の観光資源の豊富さがあります。アルバニアだけをみても首都ティラナ、ローマ時代の劇場跡が残る港町ドゥレス、オスマントルコ下の街並みが残るベラート(世界遺産)、自然でいうとサランダ・フローラ近辺の透明度抜群のビーチ、そして北にはアルバニア・アルプスの山々と至れり尽くせりです。中でも個人的に外せないのがBlue Eyeと言われる小さな泉。google検索すると分かりますが絵画のような美しさです。来週末に行くことにしています。

そしてアルバニアモンテネグロコソボマケドニアギリシャに囲まれています。ギリシャを除いてこれらの国に何があるのか来るまでは何一つ知らなかったのですが、モンテネグロはバルカン一とも言われる海岸の街ブドヴァ、スバティステファン、古都コトール、コソボはプリズレンの城、マケドニアは首都スコピエの綺麗な夜景と様々な主義・宗教が入り乱れた建築物、美しい湖畔のオフリッドなど。ギリシャについてはアテネまでは遠いのですがヨーロッパ人がバカンスを楽しむコルフ島がアルバニアの目と鼻の先にあるので来週Blue Eyeと一緒に行く予定です。

クロアチアがそうであったようにもうすこし経済が発展してアクセスも良くなったらこのあたりの西バルカンは一気に観光ラッシュが起こりそうな予感がします。

 

アルバニアでのインターン開始

先々週からインターンアルバニアに来ています。多くの方にとってなじみのないアルバニアという国、それもそのはず人口はわずか300万人、国内総生産(GDP)も約1.5兆円と昨年まで赴任していたカンボジアのそれを下回ります。ヨーロッパの最貧国の一つと言われるこの国は、1912年のオスマントルコからの独立後不安定な政情が続き、一時イタリア、ドイツの支配下に置かれます。大戦後の1946年に共産主義政権が設立すると党首ホッジャは独自路線を強め、仲良くしていたユーゴスラビアソ連、中国とも次々に断交しほぼ鎖国状態となります。宗教活動も禁じられ1967年には無神国家の宣言もなされています。当然経済状態は悪化、国民感情の反発を機にようやく1990年から開放路線となり1992年に非共産政権が誕生しますが、今度は未熟な市場経済を利用した国民のほとんどを巻き込む「ねずみ講」が起こります。1997年にこれが破綻すると大規模な暴動が起こり、その影響は現在も尾を引いていると言われています。
 
鎖国」や「無宗教」など日本とどこかしら通じるものがあるのではないか(日本の歴史・経験が役立つのではないか)、ほとんど着目されず外国援助も多くない途上国で開発を考えることは開発のキャリアを積む上で重要ではないかとの思いからアルバニアでのインターンを決めました。10日間暮らしてみての感想は一言で言うと「なんて暮らしやすい国なんだ」です。鎖国下でもイタリアとの裏貿易は続けられていたことからイタリア文化が根付いており、カフェでエスプレッソを飲む人が溢れ、街中にあるイタリアンレストランのクオリティは高く、それでいて物価は安いです。首都ティラナは人口40万人程度で渋滞もほとんどなく、歩いてどこにでも行くことができ治安も悪くありません。そしてなによりも、街を歩いていると子供や高齢者が多く、みんなリラックスしており人々の生活を感じることができます。東京では週末の商店街等を除いてなかなかそうはいきません。驚くほど外国人が少なくアジア系人種を見たのは10日間でも2回程度(中国からの団体旅行と思われる集団)なのですが、不思議と「外国人」であることを意識せず歩けるのはこのリラックス感からくるのだと思います。
 
残り6週間の滞在を通してアルバニアのことを学び、綴っていきたいと思います。あと折角まとまった時間がとれる貴重な機会なので、この1年で学んだことの振りかえりと将来への展望を残しておきたいと思います。