開発と経済のはざま

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読書メモ 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか

ヘンリー・ミンツバーグがマネジメントに必要な3要素として挙げているのがアート(美意識)、サイエンス(データ、論理)、クラフト(経験知)。その中でも本書は現代社会の経営におけるアートの重要性を論じたもの。グローバリゼーションにより差別化が一層難しくなり、また極度の貧困が解消されつつあるなか物的欲求よりも「自己実現欲求」がますます重要になること、そしてシステムの変化に追いつかないルール、全てがアート型の経営の必要性を求めている。これらはいずれも時代を読んだ指摘であり、徐々に浮き彫りになってきた高度資本主義社会の行きつく先で生じる「壁」のようなものだろう。それでも資本主義に代わるパラダイムは生まれず、では何が更なるブレークスルー・イノベーションを可能にするのかと考えたときに、これまでの思考とは全く異なるアート(美意識)が人々の需要を喚起していく、という議論だ。日本ではまだまだクラフト型の経営が幅をきかせており、ベンチャーやコンサルの台頭によってサイエンス型の経営も徐々に浸透しつつあるが、アート型と呼ぶにはほど通い。著者は、定義からしアカウンタビリティとは無縁のアート型が経営において主導権を持つには、そのような人材をトップに置きサイエンス・クラフト型人材が脇を固めるという手法以外にない(さもなくばアート型は淘汰されてしまう)と述べている。その通りだろう。

日本はクラフト型と述べたばかりだが、そのような経営の行きつく先は、無理な業務を負わせられた社員が行き場をなくしコンプライアンス違反に走ったり精神を病んでしまうという悲劇だ。美意識は経営者のみが有していればよいのではなく、社員の一人一人が(会社とは離れた)信念を持ち業務に取り組むということ、それは上から言われたことを上手にやることではなく、自分で自分の美意識・価値基準に照らし合わせて判断するということだ。

2年間サイエンスとその重要性を学んだ中であるが、以上のようなアートの重要性の議論には頷くことが多い。アートであれサイエンスであれ、クラフト一辺倒の日本の会社・組織は早期に舵を切る必要があるだろう。他方で、そういった経営の方向性についてもまた、ゆくゆくは差別化が難しくなるのではないかという疑念は消えない。イノベーションのマンネリ化だ。常に新しい価値(=差異)を求め続けなくてはいけないというモデル自身に限界がきているのではないだろうか。